まわりあめ -circle rain-

8mm Film + DV 長編
長編映画としては5年ぶりの8ミリフィルム新作映画(全3部作の第2部)。
現実編、非現実編、疾走編から連なる現代ネオ・メッセージ超長編作品。
この作品は

① 現実編+疾走編=1時間45分
② 非現実編+疾走編=1時間45分
③ 正規品→現実編(短縮版)+非現実編(短縮版)+疾走編=2時間30分
④ 完全版→非現実編+現実編+疾走編=3時間30分

の計4作品を製作し、様々な用途に合った形式で皆様に観てもらおうと思っています。
CAST
花田彩絵 井上裕太 川崎諭 嶋田織 井上裕介 畑嘉方

STAFF
撮影 横山知英 新宮雅人 / 編集・脚本・監督 粟島憲郎
[現実編] 大学生キユウタは、全共闘運動に参加している恋人サエを待ちながら、
現実にある日常の中で雨と光、現在と過去を想い、未来に向かって行く
『なんか、こうやって傘さしてるとほんとに雨降ってるみたいだね
ユウタ 見たことある? 海に雨が降っているとこ
静かだろうなぁ しっとりと 雨が海に降ったら...』

[非現実編] 人々に傘を売る傘青年は、雨降りを待ち、人々に空白を与えようとし、
雨に濡れたい雨女は傘青年と出会い、2人は現代社会の真中で歩き続ける
『僕はすっと思っていた もし、世界の人々が自分の好きな傘をこんな晴れた日にいっせいに、
瞬間に拡げれば それは素敵な光景になる』

[疾走編] ユウタの友人バカ男2人は自転車を盗み、
自分達のちっぽけな人生を感じながら世界の終わりを見るために、
終わりを求めるために疾走を始める。
『それより 何処行くんだよ』
『世界の終わり!』
『...いいなぁ それ!』

<解説>
一言では説明しきれませんが、今振り返ると自主映画の枠組みを
自分なりに通り越そうと試みた作品だと思います。
構想期間が非常に長く、当時の想いを全て入れ込もうとしたのでこんな考えられない長編になりました。
たった3分の撮影のために砂丘に出向いたり、全編が晴れのシーンの設定だったので
クランクアップ自体にもかなり労力を費やすことになりました。
どう考えてみても8ミリフィルムを10時間回した事実は異常です。
当然、製作行程の間には様々な事柄が起こり、経験しなくてもよいことまでも体感しました。
なのでほぼそれまでの自分の人生が刻まれているのかもしれません。
言わば私達のバイブル的な作品になっています。
完成は間もなくですが、公開できる場所も見つけられないかもしれません。
でも、それでも私はこの作品を観てみたい。
じっくりともう一度再確認したいです。
今までに存在しない語りかけを目指した私自身の心がそこにあるはずです。
粟島憲郎(編集・脚本・監督)

変な髪型・分厚い脚本・鬼ロケ・砂・ラクダ・パチスロ・バスで山奥・
かせぎさいだぁ・漁師・弁当屋・バッカス・バイクから落ちそう・友人の誕生日・
風呂・有線放送・黒い机と水・ジェットコースターのオモチャ。
この映画を撮ったのはもう3年くらい前だと思います。
で、私の記憶も時間と共に薄れ、上に挙げたことくらいしか思い出せません。
完成した暁にはその映像によって、より多くの思い出が出るであろう。
今は遠い出雲の国でその時を待っています。
井上裕太(ユウタ役/現実編)

「まわりあめ」の撮影はもうずいぶんと昔の出来事みたい。と同時に、つい最近のことだったようでもある。
年を経るごとに時間の流れが早く感じる。目を閉じれば時間の河を飛び越えてしまう、
それはとても恐ろしい。おいておいてと誘われる、深淵を覗き込むようだ、
圧倒的なノスタルジイはあたしには恐ろしいもののひとつです。
「まわりあめ」のことですね。はやく完成品がみたいなぁ。どうなんだろう、
何でも、ものづくりってゆうのは、あたしはその時のパッションでいっちまうものではないかと思う。
特にあたしたち年代ではまだまだ完成人間じゃないし、発展途上だし、もののみかたや表現の仕方、
解釈や想像力もきっと日々変化している。基本的なところはさほど変わらないにしても。
だから、あの頃はこれだろとおもったことも今見たら違うかも知れない。
あたしの場合は、役者なので、あの時はこうゆうふうに演技してだけど今ならこうしたい、
ってゆうのが絶対出てくる。
まだ客観視は出来ないなぁ。
いろんなことがありました。「フラッシュバック」を超える長篇、
初めて脚本読んだときは、「これどんな長いねん!」っておもった。
ほんまに長かった。いや、まだ完成してないから実際どれくらいなんかは知らないけれど。
でもすごくわくわくしました。
雨について考えてみましょう。雨の音はあるときには落ち着く。
たまにはいいけど、雨の日には外出するのは好きじゃない。
あたしはそうだけどそうじゃない、そうじゃない。果たして恵みはあるのか否か。同じ人間ではないから、
監督の意志やメッセエジを完璧に乗せられることはきっとない、ないけれど、
それが役者の面白いところとジレンマ。
それがずっと味わっていきたいところ。ああ、うまく出来た、と思ってても、
いざフィルムにあがってきたのを見てみたら大した演技でなかったり。またその逆しかり。
思い返すと、今でも泣きたくなるようなリアルな感覚があります。
それはこの作品に限ったことではないですね。
それにしても愛しき恐ろしき思い出たちよ。幸あれ。
花田彩絵(サエ役/現実編)

「まわりあめ」において、僕は「傘青年」という役を演じたのですが、
今思い直してみても、とても難しい役でした。
感情の表現というか、セリフにしてもそうなのですが、常に想像力を膨らます、
この時、傘青年はどう感じているのか、などといった事を、考えなければなりませんでした。
しかし、だからかもしれませんが、演技ということに関して、とても勉強になりました。
それから、「まわりあめ」の撮影において、いろいろ体験したことは
決して他では味わえない、貴重な体験でした。
川崎諭(傘青年役/非現実編)

完成するまで私は生きつづける。
完成しないということに意義があるようになったりはしてほしくない。
嶋田織(雨女役/非現実編)

完成するかどうかは別として、この映画の撮影時のスタッフが全員揃って完成を迎えることは、
おそらくないと思っています。
ただ、自分の内に残る大学映研時の活動においての意味や表現を見直す為にも
卒業までに完成させるべきだった作品だったように感じます。
横山知英(撮影/現実編)

非現実の世界をフィルムに焼き付けるということは容易ではなかったし、
自分の中の引出しを上手く出せたかもわからないが、
所詮、撮影も映画製作のうちのほんの一過程に過ぎないということを痛感した。
撮影だけではどうしようもない部分がやはり出てくる。
人間で言うところの視覚は確かに重要ではあるが、五感が伴って初めて人に影響を与え得るし、
非現実的な世界観も説得力をもってくるのだと思う。
新宮雅人(撮影/非現実編)


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